DJ TECHNORCHによるMurder Channelの音源のみを使ったMIX CD「MURDER CHANNEL MIX CD Vol.1」の初回出荷版に封入されていたDJ TECHNORCH執筆のライナーノーツ全文を公開!
DJ TECHNORCH / MURDER CHANNEL MIX CD Vol.1
どうして私はここにいるのだろう?クラブイベント「Murder Channel」へ足を運んだのはdev/nullが出ていた頃だと思う、入場と同時に演者のサンプラーが炎を上げて燃えていた。そういうパフォーマンスなのだろうが、私のMurder Channelのイメージは随分とおっかないもので始まってしまった。私はどちらかというとBreakcore/Underground寄りのアーティストというよりはJ-Core/Gabber/Happy Hardcoreを初めとした側に属するアーティストだ。ここにはジャンクミュージック的な音楽に対する扱いと、本格志向として扱われるアンダーグラウンド作品群との扱いの差・壁があるものだと感じていた。だからこそアルバム「BOSS ON PARADE」リリース当時のJason Forrest, Aaron Spectre, C64, Duran Duran Duran, μ-ziq, Bong-Ra, FFF, dev/nullらと更にはMurder Channelオーガナイザーである梅ヶ谷氏の、屈託の無いそして全く偏見の無い喝采には大分面食らった覚えがある。
ある日いつものようにGabber/Hardcore系のイベントに出演していると、dev/nullの日本人同行者から「dev/nullがずっとTECHNORCH君のBOSS ON PARADEを車の中でリピートしまくってて凄いよ」と声を掛けられた。BOSS ON PARADEは私DJ TECHNORCHの当時の代表曲だった。256曲に散り散りにされたRAVE CLASSICをマイクロサンプリングカットで繋ぎあわせたハードコアトラックでこの曲を作ったことで向こう数年の活動が大きく道を分けることになった。私が主に制作しているJ-Coreという音楽はお馴染みの古き良きGabberやHappy Hardcoreに、日本独自のサンプリングセンスでNerdcore Technoへと進化した日本式ガラパゴスハードコアを、更に更に日本人特有のドメスティックなセンスで封じ込めたHardcore Technoの1スタイルだ。私は当時HARDCORE TANO*Cというレーベルに所属しており、当時の代表曲もTrancecoreの一種であるGOTHIC SYSTEMや、前述のJ-COREスタイルのBOSS ON PARADEであり、ずっとそのような分野のみで活動していたため、だからこそこのような評価の受け方は正に海の向こうから評価が飛び越えてやってきたような印象を受け、大変に光栄だった。2004年6月19日 fourth floorでMurder Channelは第一回目が開催されていた。私が見たサンプラーが燃えていたイベントは2周年にあたる恵比寿MILKでのイベントだったが、2004年と言えば私はまだまだ180BPMクラスのクラシックスタイルのTrancecore/Freeform Hardcoreばかり製作していた時期だと思う。後にRAVECOREとして海外と影響し合う事になるセカンド・アルバムの作品群への作風にはまだかなり程遠い。
発端はDev/NullとJason Forrestだったらしい、とにかくDJ TECHNORCHという奴が凄いんだ、会わせてくれUME!ということらしく、実際にまだ4つ打ちGabber作品へのBreakcore側からの興味というのはHellfish/Producer等、Industrial/Frenchcore勢の作品を指すのが普通だったが、そこに突然J-COREが巻き込まれてしまった。後にMurder Channelのオーガナイザー梅ヶ谷氏に出演に誘われ、恵比寿MILKではMelt-Banana, Goth-Trad, L?K?O?らと共演することになった。何度も言うがJ-Core/Hardcore、強いて繋がりを言えばTrance/Houseの方だけの繋がりで生きてきた私にとって、Murder Channelのサイケデリックでいてバラエティに富んだ空気は強烈なインパクトを貰うことになった。共演した際に出会ったJason ForrestとAaron Spectreの勢いたるや何事かと思った。「TECHNORCH, Dinner Da!」の号令の元、喋れない英語で随分熱心にやり取りしていた気がする。その後の私がBreakcoreの世界から受けたAmenの洗礼は凄まじく、作曲に相当の影響を受けることにはなったが、そんな彼らの私達の超低速Gabber KickとRave Stabからも彼らは大変に刺激を受けたらしい。Duran Duran Duran / Face BlastをTechnique店頭で聴いた時はあまりにもモロで爆笑してしまった。そんなこんなの相互影響、そこで実を結んだのが私のレーベル999 RecordingsとMurder Channelの合作BOSS ON PARADE REMIXESだった。DJ Donna Summer, FFF, Lukes Angerらのリミックスが秋葉原のオタクショップの店頭やコミックマーケットで売れまくっている状況を想像して欲しい、どうして私はここにいるのだろう?そんな感じの気分だ。日本のJ-Core/Hardcoreシーンはアンダーグラウンドクラブインディーズというよりは、オタク向け同人音楽という枠組みでオリジナルもリミキシーズも固められることが多く、上記Breakcore勢以外にもLuna-C, Aural Vampire, Rising Sun Nova等、私の敬愛する、オタクマーケットではあまりにも浮きすぎるリミキサー達で占められ、ある種の異様さと新鮮さを振りまいていた。
私の当時のスタイルは140〜150BPMのTECHNO的なトラックに、Gabber Kickをそのまま909の代わりとして置き、その上に雨あられのRave Stabを乗っけるというスタイルだ。今も昔もGabber / UK HardcoreのMainstream Hardcoreは180BPM近くの高速ビートにSupersawのトランスシンセやHoover Noizeというのが定番のスタイルだが、私はどうにも中心的に存在のそうTrance作法のHardcore Technoに傾倒出来なかった。元々Oldskool Hardcore RaveやMinimal Technoに非常に興味が強かったため、Gabber KickをGabber以外の使い方で使ってみたいという欲求がそのまま結晶となる形になった。これがRavecoreとしてCock Rock Disco勢を初めとしたBreakcore系アーティストに大変に歓迎されることになった。Trance系Big RoomブレイクもVirus Supersawなトランスシンセも関係ないこのある種独特のスタイルは彼らにとっても新鮮だったようで、嬉しい限りである。Cock Rock Discoとはそのまま契約となり、DJ CHUCKY氏らの誘いで目立たくMaddest Chick’ndom #1の12inchアナログカットへと至った。
2007,2008年はJ-CoreにもBreakcoreにも激動の年だった。Ravecoreの登場と極端な4つ打ち化、遅い早いはともかくグリッチエディットは減ってBreakcoreはFrenchCore的な音楽に呑まれ、そして音が洗練されていったトップセラー達は来たるBassブームに見事に昇華されていった。J-Coreの方もそれはそれで大変だ。これを読んでいるどのぐらいの人間がご存知かは分かりかねるが、ニコニコ動画・初音ミクの登場により、プロとアマの境界線が極端に崩壊し、プロのリリースネットワークが無いJ-Coreサウンドはこの波にもろに揉まれることになった。ニコニコ動画・初音ミクの登場はそれまでのマス・プロダクションなレコード制作会社の方式も、バンド・打ち込みスタイルのシンガーソングライトの製作方式ともまた違った。徹底的なアマチュア同士の良いとこだけを合体させるアマ/プロダクションが発達していくことになる。例えば1000人のアーティストが楽曲を競って作り、その中で再生回数という市場原理主義的なランキングで上位に入った良いところ数曲を、1000人のアーティストのイラストレーターの同様の上澄み、1000人のプロモーションビデオ製作の同様の上澄み、それら全ての自然発生的なアマ・プロダクションで勝ち抜いた一部の曲のみがオリコンチャートで単純にシンガー初音ミクのソロアルバムとしてランキングを賑わす、Napstar登場以来の日本独特の事情がアマチュア・インディーズをかき混ぜていき、当然のように私もその波ともろにぶつかることになる。
そんな激動の中、DJ TECHNORCH, FFF, Ove-Naxxの3人は全国ツアーに行く事になった。金沢で見つけたレアなレコードショップでFFFと「TECHNORCH, Urban Hypeのアルバムがおいてあるよ」「わぁ凄い!」「TECHNORCH、これは君が買うべきだ」「え、でも、トミー、これは君にとっても大切な…」「いいんだ、さ、TECHNORCH、手に取るんだ」「ありがとう…トミー…」なんて会話をしていたり、遠征先の車の中で「最近これにハマってるんですよ」とスタッフの人が掛けてくれた音楽が産まれて初めてのドローンで「偉い所来ちゃったな」と途方にくれたりした。彼らとのツアーやHARDCORE TANO*CというJ-Coreレーベルとの遠征等で合わせると金沢・福岡・静岡・大阪・東京の五都市をめぐることになった。1都市1シーンという感じにあまりにも各地でノリが違うことに、東京・大阪の特殊性を強く感じることになる。特に静岡は規模こそ小さいけど強烈なパワーを秘めていた。どこにいってもFFFの現代RAVE的バランス感とOve-Naxxの強いライブ力には驚嘆とさせられた。Trance/Gabberだけで音楽活動をしていたらまず間違いなくこの刺激は受けられなかっただろう、感謝以外の念がない。
その後、私はJ-Core側の商業作品に運良く恵まれ、また、運悪くそれにより本人の自己内面評価を遥かに超える外部評価に苛まれ、音楽的に内面崩壊してしまうのが2008,9年。この頃の作品は殆どがノイズ・AMENトラック、涙を流しながら「これ、音楽になってるのかわからないんです!」と納品したり復帰には随分かかった。BOSS ON PARADE REMIXES製作中には既にちょっと気分が参り初め、ツアー終了後の外部レーベルへの作品参加の当たりがヤバさ最高潮だったと思われる。GOTHIC SYSTEMみたいな曲をまた作って、BOSS ON PARADEみたいな曲をまた作って、商業ゲームの何々にまたこういう曲で参加して下さい。生来、同じことを繰り返せない私は自己評価と外部評価のズレに多いに立ち眩んだ。
今回のMIX CDは遥か昔に私が製作したOldskool Hardcore Rave, Newskool Happy Hardcoreの15年分の楽曲世界を横断するMEGAMIX CD「TOTAL TECHNORCH 〜15 years of Hardcore〜」をオーガナイザーの梅ヶ谷氏が激しく気に入ってくれたことに起因する企画である。あれからもう5年近く経つ現在、引き続き残っている影響もあれば、一新された部分も多岐にわたるだろう。元々ノンジャンルでエディットメガミックスをすることの多い私にMurder Channnelの幅の広さには舌を巻いた。2010年に復活としてリリースするStraightまでの間はほぼ全面停止状態に入り、作風も大幅に変わることになったが、随分パワーが舞い戻り、元気いっぱいに本作はリリースされることになった。楽しんで頂けただろうか?2010年にはDJ TECHNORCH本人作品も復帰し、作風を大幅に変え、DJ関連本を出版したり、Breakcoreとの接点が殆ど絶たれていたり、初音ミクのフェスでagehaに出演してみたり、震災はあり、HMVは閉店し、震災直後に内閣総理大臣賞を受賞し、国内外ネットレーベルはクオリティを分解させながら急増され、2012年には音楽理論を習い始めHARDCORE TECHNO POPを標榜、ブロステップ旋風に巻き込まれ、音楽はmp3へ、そしてダンス禁止、リッピング禁止、Breakcoreのリリースは減り続け、BreakcoreはDark Stepに呑まれかけるが、去年までに比べればまだまだ元気に、随分時間がかかった気がする。これが、DJ TECHNORCHとMURDER CHANNELだ。今後は更にMurder ChannelからのEPリリースも予定している。さてさて一体DJ TECHNORCH 2012はどんな具合だろう?それではCDをばお楽しみを。
(TEXT by DJ TECHNORCH)